北村友一騎手が破門された!?あだなが「机」と呼ばれる理由と、落馬が多い原因とは?

JRAに所属する騎手の中でも、イケメンかつキレやすいと評判の騎手がいます。

それが、”キタムー”こと、北村友一騎手です。

なぜ彼が”机”というあだながついたのか?

また、師匠に破門された経緯についても解説していきたいと思います。

北村友一が破門される

北村友一さんの名前で検索すると、「破門」という文字が続いて表示されるので、
何事か?と気になって調べてみました。

すると、以前東スポで北村友一さんはコラムを連載しており、
そこで騎手としての生活から、プライベートのことまで語っています。

北村友一さんは田島氏の元でトレーニングをしていました。
北村さんも田島氏もあまりべらべらと話すタイプではなく、無口な方で、
コミュニケーションが取れなかったのでしょう。
そのことが原因で、意思の疎通が図れなかったものと推測します。

厩舎では、朝から馬を調教するのが習わしです。

当然、自分の厩舎を優先し、他の厩舎は後回しなのが当然だと田島氏は
考えていた。
まだ騎手として経験不足だった北村友一さんは、田島氏の気持ちに気が付かず、
勝手に他の厩舎の馬から調教してしまったそうです。

そのことが田島氏は気に食わず、師匠と弟子という関係にヒビが入り、
北村さんいわく、破門同然となります。

それ以降、フリーの騎手として活躍することになりました。

北村友一=机の理由

北村友一騎手といえば、”机”というあだなで有名です。

ネット掲示板や、競馬ファンの間では、北村さんのことを机と呼ぶ人も多く、
いつの間にか机が定着しています。

なぜ、机と呼ばれるようになったのかというと、とある事件が関係しています。

2013年11月2日に、京都競馬場で開催されたレースで、北村友一騎手がレース後、
検量裁決室内で机に手をかけてひっくり返すという奇行に及んだためです。

まるで、漫画「巨人の星」に登場する、星一徹のようですね。笑


出典:アメブロ

なぜ審議対象になったかというと、北村さんがレース中、斜行してしまい
他馬の走行を邪魔したからとみなされたから。
斜行自体めずらしいものでもないですし、北村さんもわざとやったわけでは
ないはずです。

とはいえ、北村さんを含め、他の騎手が落馬する可能性もあるので
危険行為と受け取られても仕方ありません。

この一件で、競馬開催日4日間の騎乗停止処分が決定します。

この処分に不服だった北村さんは激怒し、星一徹のようにちゃぶ台ならぬ、
机をひっくり返してしまったわけです。
巨人の星は古いですし、北村さんがこのアニメを知っていたかどうかは
知るよしもありませんが。

JRAの職員も「こいつは反省していないな」と判断し、さらに開催日2日間追加した
騎乗停止を決定。
合計開催日6日間馬に乗れなくなってしまいました。。

この事件の後、北村友一さんはコメントを残しており、
「十分反省しています」と述べています。

また、他の騎手や調教師と飲み会をすることもあり、飲みの席では
「机ひっくり返し事件」の現場を再現。
ファンからは「自虐ネタかよw」と笑いを誘っています。

本人もあだなが”机”というのは知っているらしく、むしろ知名度がアップして
まんざらでもない様子です。

あと、キレやすい性格という一面もあるものの、ネットで炎上することが怖いと
語っており、意外と小心者でもあるようです。

さらに、北村さんは以前、滋賀県警察署の一日署長という仕事をしています。

かわいいアイドルがよく一日署長をしていますが、北村さんみたいに
キレやすい人物が署長になったら、傷害事件が増えるのではないでしょうか(笑)

北村友一の成績

危ない人物のように見える北村友一さんですが、騎手としての実力は本物です。

通算勝利数は中央競馬で870勝、地方競馬でも23勝をマーク。

GI勝利数は7勝で、重賞はこれまでに32勝もしています。
(中央28勝、地方4勝)

初めて出走したのは、2006年3月4日の阪神3レースで、3歳未勝利戦。
ソリッドスウィートに騎乗し、結果は11着でした。

初めて勝利したのは、2006年3月19日開催の、中京7レースです。
ゴッドヘイローに騎乗し、見事勝ちを収めました。

その後重賞レースにも出走し、初重賞出走したのが2006年12月3日開催の、
中京11レースで中日新聞杯(G3)でした。
イーグルドライバーに騎乗し、結果は4着。

初めて重賞勝利したのは、2008年10月18日開催の京都11レースで
デイリー杯2歳S(G2)に出走。
シェーンヴァルトに騎乗して勝利しています。

初めてG1出走したのは2008年5月18日開催された、東京11レースで
ヴィクトリアマイル(G1)です。
タイキマドレーヌに騎乗し、奮戦したものの結果は12着とイマイチでした。

ようやくG1勝利したのは、11年後の2019年3月31日に開催された 阪神レースで
大阪杯(G1)に出走。
アルアインに騎乗し、白星をあげています。

デビューから実に13年越しのG1勝利となっており、北村さんも努力が実り
かなりうれしかったはずです。

北村友一は落馬が多い!?

北村友一騎手は、落馬事故が多いことでも知られています。

僕の知る限りでも4回落馬しており、事故発生日は以下の通り。

2007年10月8日に開催された京都競馬場12レースで、進路妨害を受け落馬。
右手首骨折してしまい、手術をした結果、12月8日復活。

2009年7月19日に開催された札幌競馬場12レースで、左上腕骨を骨折。
復帰まで5ヶ月もかかり、12月12日に出走。

2012年9月17日の阪神競馬場で転倒し右手を骨折。
2ヶ月半も出走できなくなりました。

また、2021年5月2日、阪神競馬場で落馬し、椎体右肩甲骨を骨折。
さらに背骨8本折れていることがわかり、歩行することすら困難な状況に
追い込まれます。

嫁さんが風呂に入っている時、北村さんのうめき声が聞こえてきたというので、
相当痛みに苦しんだはずです。

完全復活まで1年はかかり、大変な思いをしました。

これだけ落馬事故が多いと、勝利の女神に見放されているというよりも、
死神に取り憑かれているのではないかと思うほどです。

ただ、家庭ではいいパパのようで、娘が生まれており
嫁さんとも仲良くしているそうです。

まとめ


出典:Yahooニュース

以上、何かと怪我が多い「机」こと、北村友一騎手について書いてみました。

あまりにも落馬事故が多いので、見ているこちらもヒヤヒヤしてしまいますが、
まだ北村さんは37歳です。
54歳で現役の騎手もいることですし、G1で勝利していることから、本人も
やめるつもりはないのでしょう。

それに、愛する家族もいて養っていかないといけないので、
怪我が多くてもやめられないのが実情ですね。

やはり、守る存在がいると男は強くなるという証でしょうか。

いずれにせよ、怪我には気をつけて騎乗してほしいところですね。

それでは最後までご覧いただき、ありがとうございました。