後藤浩輝騎手はなぜ自害した?その真相は岩田康誠と吉田豊が関係しているのか考察してみた

JRAの名騎手として知られている後藤浩輝元騎手が亡くなってから9年。

現在も、競馬ファンの間では彼が亡くなってから懐かしむ声が多数よせられています。

それではなぜ後藤騎手は自ら死という選択肢を選んだのか?

その真相に迫ってみました。

後藤浩輝はなぜ自殺した?


出典:gooブログ

後藤浩輝(ごとうひろき)騎手は、1974年3月19日生まれ。

かつてJRAで活躍していた騎手です。
美浦トレーニングセンター所属で、神奈川県相模原市出身です。

後藤さんが33歳の時、関東でリーディングジョッキーに選出されており、
間違いなく実力のある騎手でした。

重賞勝利数は53勝。
G1でも5勝しており、有名なのは安田記念でアドマイヤコジーンに騎乗して勝利したのが
記憶に新しいです。
また、朝日杯でマイネルレコルトに騎乗して勝っています。

年間勝利数は100勝をマークし、通算勝利数は1510勝と文句ない成績です。

死亡日は2015年2月27日。

茨城県稲敷郡阿見町にある、自宅の風呂場付近で死亡しているのが、
奥さんに発見されました。
死因は縊死となっているので、ドアノブにタオルでもかけて首でも吊ったのでしょう。

レース直前に亡くなったので、多数の関係者が驚愕しました。

後藤浩輝さんがなぜ自決したのかですが、その理由は
本人にしかわかりません。

遺書でもあればわかるのですが、後藤さんはそのようなものを残したり
していませんし、奥さんにも何も打ち明けていなかったそうです。

少年時代に空手教室に通ったり、体操をしていたスポーツマンです。、
アメリカへ半年間の武者修行もしているくらいなので、メンタルが強いかと思いきや、
そうでもなかったようですね。

ただ、後藤さんがなぜ死を選んだのかについては、ある程度は推測できます。

後藤浩輝騎手の真相

後藤浩輝さんがなぜ死を選んだのかについて、3つの理由が考えられます。

理由その1.頚椎骨折の痛みに耐えられなかった

2012年5月6日、NHKマイルカップで最後の直線コースで岩田康誠騎乗の
マウントシャスタが内側へいきなり斜行したせいで落馬。

当初、軽傷とみなされていたものの、頸椎骨折の疑いと診断されました。
頚椎とは首の骨のことで、ここを骨折したらかなり危険です。
下手したら下半身麻痺の車椅子生活にもなるほどで、プロレスラーの
高山善廣選手も試合中の事故で、未だに寝たきり状態です。

後藤さんは事故から4か月後の9月8日に復活したものの、中山競馬第3レースで
入場する時に落馬。
首がおかしいと主張し、検査を受けた結果第一、第二頸椎骨折、頭蓋骨骨折と
診断されました。

なかなか首の怪我が治らないため、フジテレビの競馬番組に出演して解説者を務める
など、仕事はマスコミ関連になっていきます。

とはいえ、本業は騎手であり、後藤さんも馬に乗りたかったのか
2013年10月5日に東京競馬場で出走。
1年ぶりに復活し、見事重賞初勝利を達成しました。

しかし2014年4月27日の東京競馬第10レースで、岩田騎手が乗っていた馬が
外側に斜行したため落馬。
今回も頸椎骨折の怪我を負うはめに。

2回も落馬事故を体験するだけで十分不幸なのに、しかもその原因が
同じ人物の岩田康誠騎手というのは、偶然でしょうか?
岩田騎手も、後藤さんに恨みがあってやったわけではないはずですが、
こうしてみると因縁深いものを感じますね。

後藤さんが亡くなってから、岩田騎手はインタビューで
「俺は人殺しや。」と息子の岩田望来騎手に語っています。

懸命なリハビリを続け11月22日に騎手の仕事を再開した後藤さんですが、
2014年11月24日の東京で復帰し勝利。
亡くなる3ヶ月前の出来事でしたが、レースに出走していたとはいえ、
首の痛みが無くならなかったことも考えられます。

理由その2.人間関係のトラブル

後藤浩輝さんは、競馬関係者と数回トラブルを起こしています。

1999年5月4日、後藤さんは新潟競馬に出走し、カツノリズムに騎乗。
11頭中3番人気で、結果は4着でした。

レース終了後、馬券を購入した中年男性が興奮して検量室内に入り、
突然「俺の言う通りに乗らないから負けたんだ!」と言われ殴られそうになります。

このアホは取り押さえられ競馬場からつまみ出されます。
そして、今後新潟競馬場を出禁となりました。

続いて事件が起きたのは2000年5月7日。

福島競馬場にいた頃、調教師の高市圭二氏にぶん殴られました。

なぜ高市氏が暴力をふるったのかというと、後藤さんが騎乗していた
イシノイーグルが2着だったのは、落馬したアサヒウイニングのせいであると
記者会見で苦言を呈しています。

アサヒウイニングの所有者である高市氏は、馬鹿にされている思い激怒しました。
この件で、高市氏は罰金10万円を支払う羽目に。

前述した岩田騎手もそうですが、競馬関係者で切れやすい人が多いのは
気のせいでしょうか?

また、後藤さんは親ともあまりうまくいっていなかったようです。

少年時代に、フランス料理のシェフになりたかったそうですが、そのことを知った
母親は拒絶。
競馬学校へ通うように命令されます。

いままで乗馬経験もなかった後藤さんは、当然生徒たちのなかで一番乗馬が下手でした。
落馬回数が最も多いくらいで、やめたかったはずです。

しかし、アメリカの名騎手であるスティーブ・コーゼンのビデオを見てから
競馬に興味を持ち始め、騎手として努力をするようになります。

三浦春馬さんも家族と金銭トラブルを抱えて自害しましたが、後藤さんの親も
毒親だった可能性があります。

理由その3.経済苦によるもの

後藤浩輝さんは一流のジョッキーなので、高収入でした。

亡くなった年の2015年は1445万円と少ないものの
前年の年収は、約5221万円。

最も稼いだ年は2010年で、なんと1億3289万円!

7年間で4億7000万円以上稼いでいるのですから、累計5億円以上稼いでいたのは
確実です。

年々収入が減少しているので、そのことが原因で命を絶ったのではないかと
思いましたが、それでも直近で年収5,000万円もあります。

嫁と子供がいるとはいえ、かなり余裕のある生活ができるはずなので、
金銭問題で死んだとは考えづらいです。

この中で一番疑わしいのは、首の怪我による痛みではないでしょうか?

いくらお金持ちでも病気や怪我による苦痛には耐えられないので、
やはり頚椎骨折による痛みが後藤さんを追い込んだものと考えられます。

後藤浩輝が木刀で吉田豊をしばく

何かと暴行事件が絶えない後藤さんですが、同じ職業である騎手とも
トラブルを起こしています。

1999年8月19日、(後藤さんが25歳)美浦トレーニングセンター内にある騎手寮で
後輩の吉田豊騎手を木刀でボコボコにするという事件が発生。

JRAによると、今回の暴行事件で後藤さんは4か月の騎乗停止処分が決定。
ちなみに、これだけの期間騎乗できなかった騎手は後藤さんが最長記録で、
現在も破られていません。

この件に関しましては、以前の記事でも取り上げたので、参考にしてください。

※吉田豊の木刀事件。後藤浩輝との間に何があったのか調べてみたら意外な事実が判明!

復帰後のレースでも進路妨害をして3週間の騎乗停止処分を食らっています。

この頃の後藤さんは若かったというのもありますが、成績に対して欲求不満だったのか
相当ムシャクシャしていたはずです。

しかしまあ、後藤さんに限らず騎手でキレやすい性格の人は少なくありません。

岩田康誠騎手も、レース中に罵声を浴びせるのは日常茶飯事ですし、
引退した藤田伸二さんも路上で一般人とケンカをしています。

一位を取らないといけないというプレッシャーのせいで、
キレやすい性格になってしまうのでしょうか?

まとめ


出典:アメブロ

以上、だいぶ前に亡くなってしまった後藤浩輝元騎手について
色々と書いてみました。

故人についてあまり悪く言いたくないのですが、テレビ番組では
騎手らしく論理的な解説をしていたかと思えば、木刀で暴れたりするなど
二重人格ではないかと疑ってしまいます。

いや、双極性障害だった可能性もありますね。

フジテレビの番組である『みんなのケイバ』でも語っていましたが、
「若い芽をつぶす」というのが後藤さんの目標でした。

今風にいうと老害発言そのものですが、三浦皇成騎手や松岡正海騎手が
メキメキと力をつけていて、自分が騎手として食えなくなるのではないか?
そのような危機感を持っていたのが明らかです。

その結果、自分がつぶされることになりましたが・・・。

1999年2月に「遥かな君に」という歌で歌手デビューもしており、
競馬新聞でコラムを書くなど、副業も順調でした。

仮に騎手を引退したとしても、トラックマンや解説者、調教師など
競馬関連の仕事は引く手あまただったはずです。

奇しくも藤田伸二元騎手の誕生日と後藤さんの命日は同じです。

一周忌の時に、藤田さんはブログで
「自殺はアカン」「でも後藤は戻らない…。毎年、俺の誕生日が命日な訳で…。」
「せめて今日ぐらいは後藤を思い出してやって欲しい…」

と語っています。

騎手も危険な職業なので大変なのはわかりますが、引退しても食っていける道を模索したり、
相談できる相手を見つけておくことが不幸な事故にならないのではないかと思った次第です。