数々の重賞で勝利し、名騎手として知られる浜中俊氏。
その彼が、干されたのではないかと競馬ファンの間で話題になっています。
そのウワサは本当なのでしょうか?
また、以前話題になった”ミッキーアイル事件”について物議をかもしたので、
その件についても真相に迫ってみることにしました。
ミッキーアイル事件とは
2016年11月20日。
京都競馬場で開催された、
マイルチャンピオンシップ(G1)が開催されました。
このレースでミッキーアイルに騎乗したのは、浜中騎手。
ミッキーアイルは、ディープインパクトの子供ということもあり、
3番人気でした。
いいスタートダッシュをして、ゴール前の直線で先頭に躍り出たものの、
後ろから来た馬に驚いたのか、ミッキーアイルは外へ斜行してしまいます。
このせいで、サトノアラジンやダノンシャークなど4頭がぶつかります。
武豊騎手はディサイファに乗っており、あと少しで落馬事故を起こすほど
よろめきました。
レース後のインタビューで、武豊は
「直線までいい感じで競馬ができた。それだけに何とも後味が悪い。よく転倒しなかったよ」と、
苦言を呈するほど、後悔するレースでした。
浜中騎手は失格にならなかったものの、23日間の騎乗停止が決定。
また、1番人気のサトノアラジンが5着になってしまったこともあり、
馬券を勝っていた人も怒る人や、愛想が尽きた人も多数続出。
明らかにミッキーアイルが斜行しているにもかかわらず、なぜ浜中俊さんは
軌道修正しなかったのでしょうか?
以前、マスコミのインタビューで「レース前にしていることはなに?」
と聞かれて、「ボーっとしてる」と答えています。
まさか、レース中にボーっとしたり、他のことを考えていたなんてことは
ないと信じたいですね。
それから、藤岡佑介騎手と対談した時に、ミッキーアイル事件のことを聞かれ、
「本当に子供ですよねぇ。反省してます」と、自分が未熟だったことを
素直に認めています。
シャアの名言として有名な、「認めたくないものだな、若さ故の過ちは」
というセリフは、浜中さんのためにあるのではないでしょうか。
浜中俊の「もういいでしょう」発言
前述の”ミッキーアイル事件”から4カ月後。
さらに、浜中騎手の印象が悪くなったのが、フィリーズレビュー(G2)。
レーヌミノルに騎乗したものの、今度は内側に斜行してしまい
8日間騎乗停止を喰らいます。
ファンからは「また浜中かよ」と、うんざりする声が続出。
レース後、記者の呼びかけにも無視していましたが、帰り際に
「もういいでしょう」と一捨て台詞を吐いて帰宅しました。
この態度に、競馬ファンからは非難轟々の雨嵐。
当時、炎上しました。
さすがに2回も斜行して処分されたことが応えたのか、この時ばかりは
浜中さんも
「騎手を辞めたいです」と弱音を吐いています。
しかし、先輩の藤岡佑介騎手からは厳し目のアドバイスというか、忠告を受けて
また再起することを誓います。
引退しても調教師という道もありますが、浜中さんには嫁と子供がいるので、
養っていかなくてはいけません。
また、高収入なので税金の支払いもあるので、やめたくてもやめられないのが
実情ではないかと。
浜中俊は干された?
さて、そんな問題ばかりを起こしてきた浜中俊騎手。
一部のファンから、「浜中は干された?」という声があがっています。
しかし、浜中さんは現在もレースに出走していますし、重賞でも
騎乗しています。
なぜ「干された」なんて言われたのかというと、
・家族に競馬関係者がいない
・師匠である坂口正大調教師が定年退職した
・ミッキーアイル事件が影響して、馬主から嫌われた
などが挙げられます。
確かに、師匠の坂口調教師が退職したのはつらいかもしれません。
しかし、馬主や厩務員など競馬関係者から嫌われたという意見は
聞きませんし、現在も何事もなく騎手を続けています。
なので、浜中俊さんが干されたというのは、デマですね。
浜中俊のG1成績
浜中俊さんは身長163cm、体重51kgとジョッキーらしく
スリムな体型を維持しています。
減量のコツは、よく食べてよく動くとのことなので、
太りやすい体質の僕からしてみれば、うらやましいです。笑
GI勝利数は、合計13勝(JRA9勝・地方4勝)
重賞勝利数は、なんと72勝もしています(JRA55勝・地方17勝)
初めて重賞に出走したのは、2007年11月4日の京都11レースで、
KBSファンタジーステークス(G3)。
リマレックスに騎乗したものの、残念ながら10着でした。
初めて重賞勝利したのは、2008年9月7日の小倉10レースで、
小倉2歳ステークス(G3)
騎乗していたのは、デグラーティアでした。
初めてG1出走したのは、2008年10月19日の京都11レースで、
秋華賞(G1)です。
ピサノジュバンに騎乗し、12着と結果は振るわなかったです。
初めてG1勝利したのが1年後の2009年10月25日で、菊花賞(G1)出走。
スリーロールスで勝ち星をあげました。
騎手免許を取得したのが2007年3月でしたから、2年半でG1勝利したのは
すごいですね。
浜中俊の同期
浜中俊騎手のリーディングは、2024年時点で38位。
一番上位になったのは、2022年で27位でした。
これまでに稼いだ金額は15億4944万円。
一番稼いだ年は2013年で、年収はなんと1億5247万円!
近年は年収7,000万前後をさまよっていますが、”干された”とか言われるわりに
かなり稼いでいますね。
また、賞金ランキングは23位でした。
同期は以下の7人がいます。
藤岡康太
丸田恭介
荻野琢磨
田中健
草野太郎
宮崎北斗
大下智
この中で最も有名な騎手が、藤岡康太騎手ではないかと。
先日の落馬事故で、不運にも藤岡騎手は帰らぬ人となってしまいます。
浜中さんは泣きじゃくり、悲しみに包まれながら弔辞を読み上げたのが
印象的でした。
「一番の親友でもあり、ライバルでもあり、本当に特別だった。」と語っているように、
浜中さんにとって、藤岡騎手は思い入れのある人物だったようですね。
まとめ
以上、色んな意味で話題になった、浜中俊騎手について取り上げてみました。
「騎手をしていて楽しいことは?」と聞かれ、
「レースで勝ったときはうれしいし、馬に乗るのが楽しい」と答えています。
一時期は、斜行事件が相次ぎ、競馬場でアンチから野次られたりして
相当へこんだそうです。
しかし、まだ騎手をやめるつもりはないし、藤岡騎手の死を乗り越えて
今後も活躍することが期待されます。
それでは最後までご覧いただき、ありがとうございました。