吉田豊騎手といえば、「東のユタカ」と呼ばれるほど、人気・実力とも兼ね備えた
JRA所属の騎手です。
そんな吉田豊さんですが、過去に暴行事件に巻き込まれたことがあるのです。
いったい、吉田さんの身に何があったのか?
競馬ファンならずとも気になるところではないかと思ったので、
調べてみたら、ヤバい事件でした・・・。
吉田豊の木刀事件とは?
事件が起きたのは、1999年8月19日。
ノストラダムスの、「1999年7月に人類は滅亡する」という予言が
大外れして、世間があっけにとられていた頃。
その翌月に起きました。
後藤浩輝騎手が美浦トレーニングセンター内にある騎手寮内で、
後輩である吉田豊騎手を木刀でボコボコにするという
信じられない事件が発生。
素手の吉田豊さんがかなうはずもなく、土下座をして許しを請いましたが、
怒りが収まらない後藤さんは、さらに木刀でしばき倒します。
後藤さんの鬼気迫る様子に、周りにいた関係者も
止めることができなかったそうです。
その後、後藤さんは4ヶ月の謹慎処分が課されることに。
こないだのスマホ持ち込み事件で、10日間の処分だった
今村聖奈、古川奈穂に比べたら重い処分ですね。
木刀とはいえ、かなり硬いので頭を殴られたら
普通に出血しますし、下手したら後遺症が残ってもおかしくないくらいの
傷を負います。
ではなぜ、後藤さんは激高して吉田豊さんをボコったのか?
その理由としては、吉田さんから普段なめられていたからです。
体育会系で、先輩と後輩の関係だと、競技に限らず
先輩の言うことは絶対だとルールが決まっています。
仮に逆らったら、厳しい制裁が待っているのは
どこの学校・スポーツでも一緒です。
しかも、吉田さんは後藤さんが乗る馬を蹴っていたので、
後藤さんがムカついたのも納得します。
こうして、普段は温厚な後藤さんが我慢し続けた結果、
堪忍袋の尾が切れて今回の暴行事件に繋がったわけです。
ちなみに、競馬界では他にも事件が起きており、
江田照男騎手が田中剛騎手から風呂場でぶん殴られるという
事件もありました。
吉田豊と後藤浩輝は険悪なムードに
木刀事件から4年後、二人は仲直りしたのかと思いきや、
全然そんなことはありませんでした。
2003年11月2日に開催された、天皇賞。
東京競馬場のレースで後藤騎手は2番人気ローエングリンに騎乗しました。
そして、邪魔な対抗馬が吉田騎手のゴーステディです。
当初、二頭はまるで争うかのごとく、先頭を走っており、
そのままぶっちぎる勢いでした。
しかし、二頭とも失速し、後続に抜かれます。
結果、二頭が大敗してしまいました。
競馬ファンからは、
「吉田豊が嫌がらせしたんだろ」
「突出した後藤が悪い」
と、ふたりとも非難されるはめに。
結局、後藤さんはローエングリンに騎乗することはなくなり、
自らの命を絶ってしまうのでした。。
吉田豊は落馬して頚椎骨折の重症
その後もトップ騎手として順調にキャリアを積んできた吉田豊さん。
しかし、2017年12月19日に中山競馬場で落馬事故を起こしてしまいます。
ビクトリーモーンという馬がいきなり興奮してしまい、
振り落とされてしまいました。
第二頸椎を骨折するという重症で、下手すれば
一生車椅子生活か、死んでいてもおかしくなかった事故です。
しかし、リハビリの結果2019年3月2日にて、中山競馬場で
復帰しています。
本人は「少しでも長くジョッキーを続けたい」と語っていたので、
願いがかなってよかったですね。
気になるのが、なぜビクトリーモーンが暴れたのかという点です。
まさかとは思いますが、亡くなった後藤さんの怨念が
乗り移ったとか、そんなことはないですよね・・・?
まとめ
というわけで、今回は吉田豊騎手について色々と書いてみました。
競馬は何が起こるかわからないので、落馬事故には
気をつけてほしいものです。
また、勝負事なので騎手同士がいがみ合うのも仕方ないとはいえ、
仲良くしてほしいものですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。