JRAを代表する騎手として有名な、横山典弘さん。
その彼が、レース中になぜ一人ぼっちで走っているのか?
ポツンとしているのか競馬ファンをざわつかせています。
なぜ他の騎手たちと距離を取って騎乗しているのか、そこには
悲しい理由があったのでした・・・。
横山典弘がポツンな理由
横山典弘騎手といえば、ふだん馬券を購入する人なら
知らない人はいないと言っても過言ではないほどの
有名人ですね。
騎手としてのキャリアは37年を超えており、あの武豊よりも
先輩として活躍中です。
年齢は56歳と最年長ですが、JRA通算2900勝を達成しており
実力としては申し分ないです。
出典:You Tube
あだ名は”ノリさん” ”ノリポツン”など変な名前で、
ちゃんとした由来があります。
まず、ポツンとはどういう意味かといいますと、レース中に
他の騎手たちが前を走っているのに、横山典弘さんだけ
後ろで一人ぼっちで騎乗しています。
明らかに異様な光景に、競馬ファンからは
肯定的な意見から否定的な意見までさまざま。
人間嫌いだから、一人だけ後ろにいるのかと思いきや、
そういうわけでもなさそうです。
ではなぜ、横山典弘さんが最後尾を走っているのか、
理由を探ってみましょう。
理由その1・ホクトベガ説
横山典弘がトップジョッキーとして目立つようになった時、
ホクトベガという馬と出会いました。
芝でもG1を勝つ強者であり、、ダートで走っても好成績を残す馬でした。
関係者は淡い期待を抱き、もしかしてホクトベガなら勝てると海外へ挑戦します。
しかし、ホクトベガは国内では強いものの、遠征嫌いな性格です。
ドバイワールドカップに嫌々出走したら、他の馬と接触して転倒する
事故を起こしてしまいます。
この時、横山典弘さんも放り出され、死を覚悟したそうです。
ところが、ホクトベガが身を挺して守ってくれました。
この事故で死亡したホクトベガは、帰国できない不遇を味わいます。
横山騎手は当時を振り返り、ホクトベガは元気がないのに無理をさせてしまったことを
後悔しています。。
その事故以来、横山騎手はもっと馬を大事にしようと心がけるようになり、
調子が悪い馬、遅い馬を無理させず最後方で走らせるようにしたというのです。
理由その2・怪我をしたくない説
レース中は、馬も猛スピードで駆け抜けるため、落馬すると
非常に危険です。
どんな騎手でも、怪我をするリスクはつきまとうため、横山典弘さんも
怪我を恐れて転倒に巻き込まれたくない思いは強いでしょう。
現に、ホクトベガの事故以来、勝利よりも無事にゴールすることを
最優先にしているのでは?
やる気のない馬に無理強いして走らせるのは危険だと考えて
ポツンを選択している可能性も。。
理由その3・授業参観説
横山典弘さんには、現在二人の息子がいます。
和生さんと武史さんで、彼らも父親同様騎手をしています。
横山典弘さんの父親もジョッキーだったので、三世代にわたって
騎手をしているという、珍しい家系です。
2021年8月には、札幌競馬場でオホーツクステークスが開催され、
なんと親子3人で1着から3着を独占しました。
一着は長男の和生さんで、二着は武史さん。
三着は親父のポツンさんです。
この結果に、一番喜んでいたのは和生さんですが
ポツンさんもうれしかったのではないかと。
また、レース中横山典弘さんが最後尾にいるのは、
息子たちの騎乗を後ろから観戦したいのと、息子以外の馬を囲んで
邪魔したいのではないかと推測するファンもいます。
その姿はまるで、小学校の授業参観に来た保護者に似ていることから、
ポツンな理由は、息子たちの成長を見守りたいからという説も。
子供が可愛くない親はいないはずなので、横山典弘さんも
人の親だったということですね。
以上、横山典弘さんがポツンな3つの理由について
考察してみました。
当然、横山典弘さんの身勝手な行為に馬主や調教師で怒ってる人も多く、
騎乗依頼をしない人も多いです。
とはいえ、トップジョッキーであることに変わりはなく、
実力はあることで騎乗依頼をしてる馬主や調教師もいます。
また、競馬ファン(アンチ)からは以下のようなコメントをいただいています。
馬券購入者の人のことは全く考えず、馬を第一に考えているんだと思います。
馬券購入者の悲鳴が生きがいなんでしょう
馬券購入者のことを何も考えてない気がしますが・・・
何かの実験してんだと思います。
調教師が怒ったため、、藤沢和雄厩舎の馬に騎乗不可能になりました。。
横山典弘さんも話されていますが、ポツンは失敗したら批判されると
理解しているようです。
横山典弘の若い頃エピソード
若い頃のサクラローレル横山典弘が
めちゃくちゃ横山武史な件について pic.twitter.com/WamBkh6axK— 秋風旬太郎 (@rkUmWpq3h39pi73) April 9, 2023
日本が好景気に湧いていた1989年、横山騎手はデビュー4年目でした。
メジロライアンに騎乗することになった彼は、自信家であり
「ライアンが一番強い」と語っています。
若い頃の横山騎手は高い乗馬技術を認められていたものの、
問題児と呼ばれていて、煙たがられていました。
メジロライアンはオグリキャップに敗れ、なかなかライバルたちには
勝てないレースが続きました。
1991年、中山記念で騎乗に失敗し、厩務員に怒られます。
メジロ牧場から「あいつはだめだ」と言われますが、北野ミヤは
横山騎手を養護します。
これにこりた横山騎手は反省し、心を入れ替えるようになりました。
横山は「ライアンが一番強いことは間違いない。負けたのは自分のせい」と反省。
宝塚記念では鼻息荒いメジロライアンを尊重して先に行かせており、
GⅠ初勝利を達成しています。
翌年、メジロライアンは屈腱炎という病気が原因で引退。
引退式で横山騎手は、なかなか勝たせてあげられなかった自分を攻め、
感謝しつつ泣いています。
これまで様々な馬に騎乗してきましたが、「ライアンが一番強いという思いは変わらない」とおっしゃっています。
また、ライアンが息を引き取ったメジロ牧場内にメジロライアンの墓を設立して
弔っています。
このように、横山騎手は人間と同じくらい、馬のことも愛している様子が
伝わってきます。
横山典弘の伝説
横山騎手といえば、ポツンとか言われて馬鹿にされることもありますが、
すごい実績を残しています。
1990年、キョウエイタップでエリザベス女王杯を制してGⅠ初勝利。
1991年、メジロライアンで宝塚記念を制覇し、親子2代で宝塚記念制覇を達成。
父の富雄も同じく宝塚記念を勝利してします。
1995年、トロットサンダーでマイルチャンピオンシップを制覇。
GⅠで3勝しており、年間130勝もして初めて関東のトップ騎手となります。
2021年、息子の横山武史騎手がエフフォーリアで天皇賞(秋)を制覇。
この時、初めて親子3代で天皇賞(秋)制覇となりました。
2022年、息子の横山和生騎手がタイトルホルダーで天皇賞(春)を勝ちます。
これにより史上初の親子3代天皇賞(春)勝利しています。
こうしてみると、まさに競馬をやるために生まれてきた家系とも言えますね。
横山家がいなかったら、日本の競馬史もまったく違うものに
なっていたのは明らかです。
横山典弘の引退時期
息子二人もG1で勝利しているくらいなので、もうそろそろ
後進に後を譲り、引退してもいいのでは?
そんな声も馬券師たちからはあがっています。
しかし、横山典弘さん本人はまだまだ辞めるつもりはないらしく、
現役続行でやる気満々ですね。
栗東を拠点にしており、マスコミの取材では
「関西へ来ていい刺激をもらって楽しく仕事をさせてもらっている。まだまだジョッキーを長く続けたい」
このように語っています。
あと、同じ50代でレジェンドの武豊が居るまでは辞めないと断言していますね。
競馬ファンからは、武豊は”競馬キ◯ガイ”というあだ名をもらっていますが、
横山典弘さんも競馬狂いで、いまさら違う業界に転職するのは無理でしょう。
仮に引退したら、競馬学校の教官や厩務員として
第二の競馬人生を送ることも可能ですよね。
まあ、それが何年後になるのかは、本人を含め
誰もわからないのが真実ですが。
まとめ
今回は、トリッキーな騎乗スタイルで有名な
ポツンこと、横山典弘さんについて書いてみました。
レースを見る限り、馬券購入者よりも馬のことを優先している考えが
垣間見えます。
周囲の批判にも困惑せず、マイペースをつらぬく
かなり個性的な騎手ですよね。
テレビでも横山騎手を見ることは可能ですが、引退する前に
競馬場へ行ってみて本人が騎乗しているのを見るのも
刺激的で楽しいです(笑)
なので、ネットでも馬券は買えますが、たまには競馬場で
観戦するのもいいですね。
それでは最後までお読みいただき、ありがとうございました。